「人生の扉」

愛知県に来た。はや3ヶ月が経とうとしている。道がさっぱりわからず、地図が手放せない。


こんなときにカーナビがあればなあ、と思う。
僕は古い人間なんだと思う。自宅の車にもカーナビは無い。いや、「不要」と思いつけなかった。紙の地図で充分だ。地図上の旅も楽しいものだとさえ思っていた。
ところが一度カーナビのある車に乗ってしまうといけない。以前の不便だったころにもどれない。
目的地を設定してしまえば、あとは目的地までナビゲートしてくれる。少々指示と違う道を行こうが、カーナビは決して僕を責めない。それどころか即座に新しいルートを考えはじめる。前向きなのだ。僕はそのことに少し勇気をもらったりする。僕だったら間違った時点で少しへこむだろう。カーナビは決して間違いを引きずらない。
もちろん時々間違うときだってある。一本違う道を指し示したり、ときには海や湖の上を走っていたりする。でも、気がついたらきちんと修正されている。そんなときもカーナビは決して謝罪したりしない。何事も無かったかのように修正されている。鈍感力も持ち合わせているのだ。


なんでもっと早くカーナビを理解しようとしなかったのだろう。拒んできたのだろう。


やはり僕は古い人間なんだと思う。何か新しいものを取り入れるときは必ず前のが壊れてからだ。自分の車にはカーナビどころかETCもついていない。去年やっとビデオがDVDに切り替わった。CDにする必要にせまられるまでは、レコードだった。携帯電話を持ったのも、当時の上司に命令されてからだった。決して興味が無いわけではない。自分のなかに何か反発するものがあるのだ。
最近少し変ってみようかと思っている。今までは良かった。これからは意識的に時代を取り込んでいかないと取り残されそうな気がする。機械も知識も。


営業車のラジオから流れてきた竹内マリヤを聴いて、ふとそんなことを想った。


                                     名古屋営業所係長 相河 健志

投稿者 tsukagoshi : 08:37 | コメント (0) | トラックバック