「語り継がれている言葉」

 最近中学の同窓会と食事会があり、その席でご主人がおっしゃるには、昔親交があった今は亡き作家・演出家「花登 筐」氏が「京の着だおれ」「大阪の喰いだおれ」について次のようなお話をされていたと言います。


 一般的には、「京の着だおれ」とは、京都の人が着物を次から次に求めて散財し、ついには家を潰してしまうたとえに使われています。また、「大阪の喰いだおれ」は、大阪の人が食道楽で、食べるものは多種多様、贅を尽くしていると云う意味で使われています。
しかし、花登氏が言うには、「京の着だおれ」は、京都の人はお祖母さんの着ていた着物を自分の娘さんに、そしてその娘さんがお母さんになったときには、自分の子供たちへと、祖母、母、孫と、1枚の着物を大切に順送りしていくので、呉服屋がもたないことを表現しているのだと言われたそうです。また、「大阪の喰いだおれ」は、時の権力者、豊臣秀吉が浪花(大阪)商人の財力を恐れ、その財力を減らし、力を弱めるため、橋の「杭」の寄進を豪商に命じたというのです。大阪は八百八橋と云われるぐらいの橋があり、「橋の杭」の寄進には莫大なお金が必要になったので、「杭だおれ」と云われるようになったと言います。それがいつのころからか、「喰いだおれ」に言い換えられたとのことです。


当社にも、トラックや機材、倉庫などの経営資源がありますが、これらを「京の着だおれ」的に大事に活用し、決して「大阪の杭だおれ」にならないように努力していきたいと思っています。

                                 
                                        取締役総括本部長  村田耕一

投稿者 tsukagoshi : 16:25 | コメント (0) | トラックバック